水道検針日記(199Z年1月4日)~正月明けの検針

あけましておめでとうございます。今年は199Z年か。21世紀まであともう少し。世紀末ということで、ノセタラダマスじゃなかった、ノストラダムスの予言がどうのこうのという噂もチラホラ聞きますね。

考えてみたら、世紀末という概念は、キリスト教国と違ってつい数十年前まで元号しか使っていなかった日本人にとっては初めての体験なんだよね。というわけで199Z年というのは元号でいうと平成**年になる。

天皇制に疑問を持つ立場から、僕は日頃は元号というのはまず使うことがないんだけど、入居者の水道申し込みなんかを書く時など、仕事では年度管理は全て元号で統一されているので、慣例に従って僕も元号を使っている。

なんだ、それじゃ一貫性がないじゃないか、とか日和見主義だ、などという批判もあるだろうが、それを民間の職場で問題にすると非常に大変なのは間違いないのでここはパス。この仕事をやるまでは「えっとー、今年は平成何年だったっけ?」なんていうことがよくあったけど、もう今ではバッチリ。

 

 

今日は4日なので、まだ一般の会社では正月休みのところが多いらしく、駅までの道や電車の中でも人が休日みたいに少なかった。あんまり言いたくないけど、やはり長い休み明けというのは憂鬱だ。正月休みが3ヵ月くらい続いてほしい気分だ。

今日の現場はH町とN町。合計430件くらい。今日は件数が多いとはいえ、月の初日なので再調査がなくてラクだ。冊と冊の間も近いし。まだ4日ということで、帰省か旅行でもしているのかポストに年賀状がたまっている家が少なくなかった。アパートやワンルームマンションなんかでは特にそうだ。

まぁ、今回も特にどうということもなく平穏に終わった。ちょっと気になったのは、H町で検針していて某カルト教団の前を通ったときに、建物の前に何人か20代の若者が集まってきていて、それとなくその人々を観察したのだが、彼(女)らは、一般の「某教団信者」というイメージとは全然違って、明るくて素直そうで、本当にどこにでもいるような若者だった。

僕がかつて大学で見かけたオルグ活動に励む某カルト教団の人は相当に「オタク」っぽい人で、いかにもマインドコントロールとか一つ数百万円もする壷を売って歩いてそうな印象を受けたものだけれど、今日見かけた人々はそれとは全然違う。現場の泥臭い雰囲気は微塵もない。

彼(女)らはエリートの部類に属するのか。中にはテニスサークルでも入ればモテモテだろうなと思われる女の子もいた。それで男の子に「A子ちゃーん、これ持っててくれるぅ?」なんて言われると「はあ~い」なんて妙に甘ったるい声だしたりしてね(笑)。カルトというとオウムばかりに目がいってしまうものの、最近の某カルト教団はどうなっているのか。そう言えば、この前本屋で教祖の息子の嫁さんが書いた暴露本をみかけたな。

H町のあと**大学の近くの公園で昼飯を食べて、それからN町の検針。3時40分頃検針終了。それから川沿いを通って帰社。今日は比較的風が強い日だった。

日差しが淡くて風が吹く冬の午後はどこか物悲しい。でもこういう日も悪くないね。明日はK町の商店街だ。こっちはヤだなぁ。 

水道検針日記(199Y年12月24日)~この解放感!

今日は風が強かった。気温は比較的高かったはずだが、風が強いので体感温度はけっこう低かった。今日は再調査だけなので12時少し前に出勤。街道沿いの銀行で奨学金の返済を振り込んで、それからH町のマンション。

そしてE町。こちらでは建築中のアパートのメーターが移動してあってわからなくなっていたので、「あの~、監督さんいますか~」と声をかけ、ようやく発見。

一昨日は未検針を3件も残していたが、全部見ることができた。それで会社に戻って、軽く書き込みをして提出、それで今年の仕事は全部終了。

嬉しいな~。この解放感! ガッツポーズ。

水道検針日記(199Y年12月22日)~お年玉ゲット

これが今月4回目の検針日記だ。「最近あんまり更新してないね」というようなことは、何回か言われたことがあるが、まぁ、要するにあんまり気が乗らないのだ。それに11月はずいぶん頑張って更新したしね。先月はやり過ぎたのかもしれない。

ところで、今日は今年最後の検針だ。今日は件数が180件あまりと非常に少ないため11時半に出勤。初めに国道沿いのマンション(全70戸くらい)の検針をして、それからその近くにある、昨日検針した公団住宅みたいなマンション(全約260戸のところ、僕の担当は半数の130戸)の再調査を終え、E町の検針。

合計110件あまり。ここは静かな住宅街で、比較的アパートも多く検針にするには素直な地域だ。しかし、ここいら近辺には送電線の大きな鉄塔がいくつかあって、中には鉄塔から2,3mしか離れていない家も数件あるので、電磁波のことを考えると毎回、こんなとこに住んで大丈夫かいなと思う。

電磁波といっても強弱の問題があるのだろうが、電線を流れる電流の量を想像すると、PHSとか携帯電話なんかのアンテナみたいなものとは全然比較にならないのではないかと推測する。一軒、本当に鉄塔のすぐ横にある家で、毎回インターホンで家人を呼んで木戸を開けてもらうところがあって、今まで何回か「こういうとこに住んで不安はないんですか」とか「電磁波のことを知ってますか」と質問をしたくて喉元まで出掛かったことがある。

でも余計なことかと思って言えなかった。多分、送電線は体に良くはないモノだというぐらいは理解しているはずだし、現実問題として、不確実な予測を基にしてせっかく建てた家から出るというのは心理的にかなり困難だろう。

それに毎日の日常の事柄となると、不安や恐怖などの感覚を、「そんなの気にしても仕方ないよ」と根拠らしい根拠もなく遮断して意識の外に追いやる傾向が人間にはあるし。

確か最近のエディ・マーフィーの映画で、下院議員になった主人公が、送電線の下にある学校の生徒に白血病などの病気が多発しているから、移動させようという案をだしたが、そんなことをすると損害賠償訴訟も起こるし、学校などの移動費用のため電気代は数倍に跳ね上がるし、地域一帯の不動産相場が暴落するので、そんなことはできないという別の議員が圧力をかけるシーンがあった。考えてみたら、都内だけでも送電線の下にある住宅は何千何万戸もあるだろう。事情は日本だって同じだ。なんだか話が全然関係のない方面にそれたなぁ。


今日は特筆すべきいいことがあった。それはSさんという一家のばあさんからお年玉をもらったのだ。金額はたったの1000円だが、人が僕にこういうものをくれるということ事態が嬉しい。

以前、1年以上前に、僕はここの家の漏水を発見したことがあって、その次の回に行ったらデパートにもテナントとして入っているようなベルギーの会社のチョコの詰め合わせをもらったことがある。お客さんが検針員にあげるものなんて、そんな大したものがあるはずはないけれど、一番嬉しいのはその気持ちだ。

 

E町の検針を終えた後、昨日の再調査をやって帰社。今日はそれで全部終わりではなく、忘年会があった。

検針員には会社から補助金が出ているので、参加費は千円。宴会というと、前回の暑気払で大荒れしたZ氏が思い出される。前回、彼は酒を飲んで赤らんだ顔で多くの検針員にからんだのだ。

僕はよくわからない理由で胸倉を捉まれ、逃げようとしたら軽く尻を蹴られた。困った人である。実は、このZ氏が恐くて忘年会を欠席した人もいるくらいなのだ。でも、今回は前回と比べたら全然大人しくて誰にもからんでなかった。よかった。今日の席には、ちょうど一年前に出産で退職した事務のMさんや他の営業所に移動した社員の人も何人か来ていた。

その中に、2月まで所長をしていたL氏がいて少し話をした。僕は、彼が大誤検針の責任をとって飛ばされたのだとばかり思っていたのだが、本人が言うにはそんなことはないらしい。まぁ、真偽のほどは不明だが。なんでもL氏は、現在現在の職場の方で、料金徴収をやっているとのこと。繁華街に行くとチンピラに脅されて困ると言っていた。「まぁ、いろんな経験ができて、これはこれでよかったよ」と言っていた。転んでもただでは起きない逞しい人だ。

水道検針日記(199Y年12月15日)~ダンボール積載の家

今日は暖かい一日だった。12月に入ってから、同僚の検針員の人々は、会社から支給されたジャンバーを着ている人が多い。しかしジャンバーを着ていると、狭いところに入った時に邪魔になるし、カサがあるため、動きが鈍くなるので僕は着ない。内側にしっかりしたモノを着込めば十分暖かいのだ。

ところで、相変わらず仕事に行きたくない日々が続いていて、そんなわけでこの検針日記の更新も滞りがちだ。まぁ、一方では仕事に関してどうこうよりも、もう一年以上続けてきて、検針のことを書くのが飽きてしまったところもあるんだよなぁ。

もう凡そ書きたいことや、書くにあたっての手法ももう十分やってしまった気もするし。でも、ホームページのカウンターを見たら、律義に増えているようなんで、なんとか頑張ります。中には冗談抜きで更新を楽しみにしてくれている人もいるからね。

僕は、村上春樹がホームページで読者とメールをやりとりしているのを読むのが好きで、ほとんど毎日チェックしてるんだけど、たまーに更新されているのを発見すると「わーい」って思うもんね。まぁ、人生いろいろ山あり谷ありで、いつも楽しいことばかりでもないから、こんなものでも誰かの日々の潤いになるのなら……。


今日の現場はU町が2冊。合計280件ぐらい。ここの冊は、マンションが多くて、しかも冊が隣あっているので、一気にほとんど休みなしでやってしまえる楽なところだ。

ここの初めにやる冊の43件目辺りに駒田(仮名)さんという3階建ての家があって、横の鉄の扉を開けてもらって毎回メーターを見ている。

インタフォンを鳴らすと80才を越えた感じのじいさんが「はい、なんですか」と言って出てきて、「水道の検針です」と僕が言うと、直線距離にしたら6mもない距離を3分近くかかって「ほんと、狭くてすいませんね」と何回も言いながら彼が戸を開けてくれる。

ここの駒田のじいさんは、年寄りの男にしては本当に愛想がいい人で(じじいには横柄な人が多いからね)、僕は彼には以前から好感を持っているのだが、今日、上のアパートに新しい入居者が入ったようだから、その人の名前と入居日をおしえて下さいと僕が言ったら、初めは全然聞き取れないみたいで、ゆっくり大きな声で4,5回繰り返してようやく意味が通じた。

しかも、僕の言いたいことを理解できたあと、今度は、自分が言いたいことを言葉にできないらしかった。それで僕をポストのところに引っ張っていって、黙って名前のところを指差した。

入居日の方は、僕が「11月の初めの方ですか?」と言うと、ニッコリ笑って大きく頷いた。前は全然そんな風じゃなかったのに、何時の間に随分衰えてきてしまったみたいだ。

その駒田さんの4軒隣に、以前僕に養子の勧誘をした一人暮らしのばあさんが住んでいる。考えてみたら、ここら辺はかなり老人が多い。あのばあさんに会ったのは、もう4ヵ月ぐらい前だから、検針の際に声を掛けようかとちょっと迷ったけど、結局行くのはやめた。なんでかというと、要するに自分から進んで年寄りの愚痴を聞く気にならなかったのだ。

また、寂しい話を聞くのは切ないしね。そう言えば、ここの冊で以前、同じようなことがあった。ボロアパートの二階に脚の悪い84才のとめさんというばあさんが一人で暮らしていて、何かの要件で僕が尋ねると、自分は夫に先立たれて今は独りで、その夫が残した財産があるのだが、後妻であるため先妻の子供たちが分けようとしない、映画を見るのが大好きで「カジノ」というデ・ニーロ主演の映画を観るのが楽しみだ、ということを言っていた。

僕が「じゃ、そろそろ……」と言うと「あ…もう行っちゃうの……」っとポツリと言った。また次の時に寄りますよ、と僕は言ったけど、その二ヶ月後になったら、なんだか気後れしてしまって声をかけなかった。またその2ヶ月後には、もう彼女はいなかった。多分、脚が悪いので、階段を踏み外すか何かして、病院だか養老院に行ったんじゃないかと思う。あー、やっぱり年寄りの話になると、あんまり明るい話題はないなぁ。

1冊目を12時45分に終了。今朝、会社で、最近この検針日記に自分の名前が出てこないことを残念がっている荒川(仮名)さんからもらったマクドナルドハンバーガーを食べるなど、5分ほど休憩してすぐに次の冊へ。

 

ここの冊のポイントとしては、暗証番号が急に変更されてなかなか中に入れないオートロックのマンションとメーターの上に必ずダンボールを積み上げている家があることが挙げられる。

ダンボール積載の家は、夫婦で外国から雑貨や生活用品を輸入して商売をしているみたいで、庭に積み上げられているのは、その在庫らしい。もうこの1年近くメーターの上に載っかっていて、僕を悩ましているのは、赤い胴をした大形のロケット花火のような長さ40cmほどの筒状のもので、おばさんが言うには、トイレが詰まった時に吸引するために使うんだそうだ。

なんで1年も放置されているかというと、販売ルートに乗らなかったため、全く販路が見出せず、無用になったものの、かといってせっかく買ったものを捨てるのは忍びないので、仕方なくそのまま放っておかれているらしい。

おかげで僕が泣くのだ。このブツを見ると、こんなロケット花火みたいなものより、あのよく学校のトイレにある吸引器みたいなものの方がよっぽど丈夫だし、機能的に思える。こういう商売をしている人は世の中にはきっといっぱいいるんだろうけど、こういうものを輸入するセンスからすると、この夫婦はあまりこの仕事に向いてないんじゃないかという気がする。

それで50代半ばのおばさんは、「ほんと、ごめんなさいねえ」と言いながらほんのちょっとダンボールをどかすのを手伝ってくれるが、おやじの方は「あー、ホント悪いねー」などと口で言うだけでいつも何もしない。横着な男だ。

でもよく考えてみたら、おばさんの方もニコニコしてるだけで全体の9割方の作業は僕がやるのだ。検針する側の立場は弱いから「面倒くさいから、積載物はどかさないよ」と客に開き直られたら、自分達がやるしかない。

でも、ここの家のおばさんは比較的いい人なので、今度御祝儀をあげると言った。まぁ多分、口だけだな。

会社に戻ったら、バンドマンのジョニーが随分疲れた顔で帰ってきた。昨日、バンドの練習をして、ベースの人の腕がよくないらしい。他のメンバーの意見が同じだったら、こういうときは「キミはこのバンドには合わないから」ということで辞めてもらうらしい。それも辛そうだね。仕方ないけどね。

水道検針日記(199Y年12月10日)~強烈なおばさん

最近、どうもいろいろとストレスがたまることが多くて、あんまり検針日記を書きたいと思わない。そのストレスというのは、第一に検針という仕事そのものなんだけど。

この頃、もう仕事に行くのが苦痛だ。知識と経験を積んで、それで更に仕事の面白みが増すというもんでもないしさ。まぁいいや、そんなこと言っても始まらない。

今日の現場はU町が二冊。合計340件ぐらい。片方(仮にA地区)は平場の住宅街で、もう片方(仮にB地区)がマンションが多い地域。

今日はA、B地区とも割と簡単に終わった。A地区では、一軒、新築の家でメーターがクルマの下に入ってしまっているところがあった。それで僕がクルマをどかしてくれませんかと奥さんに頼んだら、彼女はそこで初めて水道メーターというのが彼女の家にも存在し、しかも位置の関係で、今後も検針のたびにクルマを移動させなければならないことに気づいて軽いショックを受けていた。

まぁ、こういうことは時々あるね。多分、工務店が何も考えてなかったせいだろうし、僕は単に仕事として他の家と同じように検針してるだけなんで、当てつけで露骨に面倒くさがったり怨んだりしないで欲しい。

ここの冊には、強烈なおばさんがいる。彼女に初めて会ったのは僕が検針を始めてまだ間もない頃だった。今日は会わなかったが、8月ぐらいに会ったときは、僕がそこの家から70mぐらい離れたマンションの3階で検針している最中で、「なんでこのおばさんがこんなところに……」と怪訝に思ったら、「今回の水量は前回と同じなのに、どういうわけか料金が70円くらい高いじゃない。これはおかしいと思うのよね。なんで?」と言われた。

それは下水道代が上がっただけなのだが、それにしても、もう孫だっているおばさんが、サンダル履いてそのくらいのことでわざわざエレベーターのないマンションの3階まで検針員を追っかけて来たとはね。悪くはないんだけど。

初めて会ったときは、彼女の家の向かいの一家が近辺の家の住人に「ぶっ殺すぞ」とか「死ね」などといじめをしてきて、それで隣の家の人が引越してしまったとか、彼女のだんなさんも娘さんもそれで神経がおかしくなりそうになったとか、「それでも私、負けませんから」などというようなことを5分ぐらいほぼ一方的に僕に向かって話しつづけた。

彼女は、一見しただけではわからないが、話をするときは目がいっちゃった感じで、僕の言うことなんてほとんど聞いていない。初めのうちは「へー、ひどい人がいるもんですねー」などと適当な相づちを打っていたけれど、いい加減疲れてきて、話を切り上げようとジリジリと体を半身にして後ろじさると、おばさんも「ほんと、とんでもないんですから」などと言いながら同じ距離だけ進んでくる(笑)。

それから2ヶ月後に検針した後に、そのおばさんから苦情の電話があって、なんでもメーターボックスの蓋が開いていたということだった。検針の仕事に疲れた今ならまだしも、当時はまだ初々しい新人で緊張感があった頃なので、そんなメーターボックスの蓋を……<この項ここで挫折:なんだか疲れて書くのヤになっちゃった>

水道検針日記(199Y年12月7日)~冷たい雨の中の検針は・・・

今日は朝から夕方近くまでずっと冷たい雨が降っていた。朝なのになんだか午後4時みたいに空が暗い。今日の現場は、合計360件の上に片方の冊が川沿いのよく歩かねばならないところなのだ。

雨といっても季節やその激しさの度合いによって検針に大いに影響の仕方が違うが、今日は最高気温が10度までしか上がらない寒さの上に、平均的な強さの雨だったのでけっこうこたえた。

夏の雨は不快指数が高まってイライラするだけなのに対し、冬の雨は寒くて冷たいので体力を奪うし、手がかじかんでしまう。

9時半頃出勤して、長靴に上下カッパを着て出発。初めの冊はU町。220件。ここは、夏に2時間という驚異的なペースで終えたアパートが多い地域だが、今日は2時間半かかった。理由としては、カッパを着ることによって体の動きがかなり鈍くなる(重いということと、体の幅が広くなるので)のと、フードをかぶると視界が狭くなってやりにくいことがある。

あと、今月は臨時の「水道ニュース」というものを配らねばならないのだ。カラーのペラペラの紙なのだが、これが300~400枚ともなるとけっこう重い。これを配ると、一枚につき1円50銭。

この「水道ニュース」を配布しても水道局からは手当て出ないということで、初めは検針員にもタダで配らせることを検討したらしいが、それではあまりということで、いくらかでも手当てが出るようになったらしい。

会社側は、水道局からは金が出ないのだが……ということを妙に検針員に強調していたが、誰がタダでそんなことをするものか。やれって言ったってみんなシカトすると思うよ。やる義務なんかないんだから。

ところで、**周年ということで、水道局としては何らかのイベントをしないわけにはいかないのだろうが、せっかく全部の家庭にああいうパンフを配ったところで、水源地がどうのこうのという退屈なものを一体どれだけの人が読むのだろうか。お客さんの中には、今年下水道代が上がったわけだし、こんなものを配るよりは料金をいくらかでも安くして欲しいという人もいた。それで、その「水道ニュース」を特に雨の中、配るとなると非常に面倒くさい。

U町の現場を1時近くに終えて、金曜に検針したW町へ。移動の間、自転車に乗りながらパンを食べた。今日は特に休憩がなかったので、パンを三つとも自転車に乗りながら食べた。

再調査を済ませて、次の現場のO町へ。ここは、数は150件と比較的少ないが、川沿いの低地という洪水危険地帯なので家の密度が低いため、長い距離を歩かねばならないのだ。検針している途中で雨はやんだが、予想していたより今まで時間がかかっていたため、急いで検針した。

でも、急ぐとミスが多くて余計時間がかかったりしてね。知らないうちに家を一軒飛ばしていて、妙に今回は通常より極端に増減がある家が多いなと思いながら、気づくのに5分くらいかかった。我ながらアホだ。暗くなると検針しずらくなるので、家と家の間が5,60m空いているところはえっさえっさと走った。検針して走ったのは、ほとんど初めてだ。頑張ったせいか、4時過ぎに全部終えることができた。それから、ゆっくりと広い公園の中を濡れた落ち葉を踏みしめながら帰社。

会社に着いたのは4時半頃で、すでにかなり暗かったが、全体の7割以上の人はまだ帰ってきていなかった。5時近くになって皆次々と戻ってきた。同僚のP氏は、相当疲れた様子だった。P氏は、仕事中にすご~くおしるこが飲みたくなり、自動販売機で買おうと思ったが、札しか持っていなくて、しかしその機械はコインしか受け付けないタイプのものだったので買えなかった。

それで頭にきてバカヤロウとか何とかずっと文句を言っていたんだそうだ。彼はいつも温厚で、一体この人は怒ることがあるのかと思わせる人なのだが、こういう天気が悪くて負担がかかる日は、どこにも持って行き場のない怒りがたまるものなのだ。だから、皆さん、天気が悪い日の検針員をあまり刺激しない方がいいですよ。それにしても、すご~く飲みたくなるのが、おしるこというのはリアルだなぁ。

水道検針日記(199Y年11月26日)~悲しいけれど、それが人生だ

今日は今月最後の仕事だ。昨日で検針は全部終わって今日は再調査だけ。昨日は飲み屋に遅くまでいたせいもあって夜更かししたので、今朝は11時半頃まで寝ていた。それで12時40分に出勤。同僚と月末休みの予定などを話して、それから出動。

B町を2冊分まわって帰ってきた。昨日はどうも無届け使用が多くて、4件ぐらい「水道検針で~す」とドアをノックして、不在の様子なので「開始手続きのお願い」メモを入れた。

空き家にはよく、ドアのところに、水道と電気の開始手続き用紙がビニールの袋に入ってかけられているんだけど、今日行った一軒のアパートには、その電気と水道の用紙がドアノブにぶら下がったままだった。水量からすると、すでに住み始めて2週間ぐらいはたっている。

まぁ、僕の友達にも同じようなズボラな人はいるが、それにしても一体ねえ……。もうどこにでもこういう「後から金払えばいいんだろ、細かいことガタガタ言うな」式の人はいるので、空き家になった時点で水道局が水を出ないようにしてしまうのがベストではないかという気がするが、そうするとまたどこかで問題が発生するのだろう。

そういえば、先日「開始手続きがまだのようなので、お名前と入居日をおしえて下さい」と僕が言ったら「おかしいですねえ、開始手続きがまだだったらどうして水が出るんですかねえ」なんて寝ぼけた人もいたし。

今日で今月の仕事は終わった。嬉し~い。この解放感は何回繰り返してもいいね。ところで、今月ちょっと印象に残っていることがあった。

そこはいつも必ずばあさんが家にいて、庭の戸のカギを開けてくれ、毎回「今日は暑くて大変ねえ」とか「雨が降ると大変よねえ」と軽い世間話をするのだが、今回は不在だった。そこの家にはメーターが二つあって、翌日に残したくなかったので参ったなぁと思い、全部終えた後でもう一度その家に行ったらやっぱり不在で仕方なく帰ろうとしたところに、ばあさんがちょうど自転車で帰ってきた。

「おぉ、ラッキー!」と思ってニッコリ笑って「こんちはー」と挨拶すると、「あら水道屋さん、ごめんなさいね。ご迷惑かけちゃって」とばあさんは視線があまり定まらない目で言った。

「あのねぇ、うちのおじいさんがこの間、老人の健康診断受けたら、あの、便に出が混じっててね、うん、多分大腸に腫瘍があるのね、それで再検査したらまた血が混じってたんで、今日あそこの○○町のP病院で精密検査してもらってるの。それで今日は留守にしててね。午前中にちょっと検査して、午後にもまた検査があるんだけど、1時半からだっていうから、ちょっとお昼食べに戻ってきたのよ」

大腸から出血というと深刻な病気を連想させる症状だが、そういうことをばあさんは二ヵ月に一回顔を合わせるだけの僕に一気に話したことと、その様子からすると彼女はかなり興奮というか、気が動転しているみたいだった。

戸を開けてもらい、メーターを見終わって「おしらせ」をばあさんに渡すときに「検査の結果が大したことがないといいですね」と僕が言うと、「ううん、もー、なんでもないの、腫瘍って言ってもガンとかそういうんじゃ全然ないんだから。軽いことはわかってるんだけどねぇ、一応は検査も受けとかないとね」とニコニコしながらばあさんは言った。

僕はそれを見て、やっぱり事態が深刻になればなる程、人は妙に明るくなるんだなと思った。それから時々、あのばあさんの夫の検査結果はどうだったんだろう、もし深刻な種類のガンだったとしたら、あのばあさんは今ごろ何を想っているのだろうかとぼんやり考える。

それで仮にじいさんが病気で死んでしまったとしたら、僕に「あんた養子になんない?」と言ったあの老女のように彼女は独りであの家に住んで、寂しくて仕方なくてテレビとか花に話し掛けるようになるのかもしれない。50代ぐらいまでなら、配偶者が亡くなっても立ち直れるらしいけれど、もう70代にもなるとなかなかそれが難しいらしい。若い頃からの友達の多くはすでに死んでしまっているし。

僕に話しかけてくるのは比較的寂しい境遇にいる老人が多いせいか、検針を始めてから老年になることに関して、かなり悲観的な印象を持つようになった。若い頃ならまだ乗り越えられたり、救いや可能性がある困難でも、年をとって(年の取り方や各個人の違いもあるが)体がいうことをきかなくなり、順応性が衰えてくると、もう一気に下降線を辿ることになるのだ。悲しいけれど、それが現実だ。それが人生だ。

 今日の再調は結局、40分ぐらいで終わってしまった。明日から休みだ、ワーイ。ちょっとハイになっていたのか、帰りに中古CD屋でCDを5枚買って帰った。