水道検針日記(199X年12月15日)~コーヒー飲んでくか?

この頃、寒いせいかあまり仕事に行きたくない。目覚ましで起きてから、布団を出るまでにいつもよりも時間がかかる。検針は定時がないので(つまり出社時間が決められていない)、気合をいれないといつまでもグズグズしそう。

今日の現場は2冊ともD町。合計275件。300件を切ると楽だ。うれしい。それに2つの現場が隣あっているので、移動がなくていい。ここの現場の特徴としては風呂屋があるのと、オートロック式のマンションがいくつかあるのと、メーターの上に重いダンボールが積んである家があることか。

1冊目の45件目くらいの一戸建ての家で、メーターをみるために、たまたま家の前にいたばあさんに「こんちは」とあいさつしたら、彼女はニコッと笑って「コーヒー飲んでくか?」と言った。こういう場合は「遠慮しないで飲んでいけよ」もしくは「ねえ、寂しいから飲んでいってよ」と同意なので、長い時間つかまったら面倒だなと思いつつ、お言葉に甘えることにした。

確か、このばあさんには今年のは初めに、水量が減っているのを聴取したら「お父さんが死んだの」と言われた覚えがある。

勝手口に腰掛けてインスタントコーヒーをもらった。

お父さんが亡くなってからちょうど一年くらいたって、大分落ち着いたけれど、やっぱり寂しいとか。

「うちのお父さんはねえ、あんたみたいなメーター見に来る人には必ず『何か飲んでいくか?』って聞いてねえ、だからあたしもやってるのよ。あんたみたいな年頃の人を見るとみんな孫にみえちゃってねえ」。

話を要約すると、同い年で生きていれば78才のお父さんが死んでしまって未だにものすごく寂しい。親族は近くにいるが、基本的には家の中にはばあさん独りしかいないから、テレビや植木や花としか話をしない日もある。

返事してくれる相手がいる日といない日ではぜんっぜん違う。まだまだ亡きお父さんとの思い出の中で生きている。この間は、木の枝を切っていたらはしごから落ちてしまったのに、道路に落ちないで誰かに抱きかかえられたようにフワーッとゆっくり着地できた。

まだまだ科学では解明できない不思議なできごとがあるものだ。これはお父さんが守ってくれたに違いない。子供や孫が近くていて時々来てくれるからなんとかやっている。孫はすごくかわいい。あんたも(僕のこと)いい嫁さん見つけて早く結婚しなさい、ということになる。

検針をやっていると、こういう老人に時々会う。一戸建てに家族と住んでいる場合が多いが、狭いアパートに独りで暮らしている人もいる。中には、なんとかこちらをひきとめようといじらしい手を使うばあさんもいた。

僕も比較的時間に余裕がある時は積極的に世間話につきあうことにしているが、残念ながら年寄りの傾向として同じことを何回も繰り替えすくどいのと、彼・彼女らとの間に共通の関心事項がほとんどないので、あまりトークは弾まない。

中にはわけのわからない呟きを一方的にしゃべるだけの人もいる。皺だらけの肌、白くなった髪、曲がった背中、細く弱々しい体。年寄りたちを見ていると、この人たちが本当にかつては今に生きる若者と同じように生命力に満ちていた時代があったとはよく想像できない。また自分が、この先、うまく死なないでいたらいずれ必ずこうなるのだいうこともイメージできない。

今日は昼休みをいれずに一気に全部検針した。セブンイレブンでサンドイッチと赤飯おにぎりを買って会社で食った。同僚の検針員の町田さんと老舗の名画座がなくなった話をした。明日もよく晴れそうだ。早く検針を終えて月末の休みに入りたい。