水道検針日記(199Y年4月20日)~一人暮らしの老女

今日はとてもよく晴れた。作業服は夏用(半袖と長袖があるが、今日は長袖)の薄い生地のシャツを着ていった。検針していると、常に体を動かしている状態なので、けっこう暑くなる。

最高気温は27度くらいにはなったらしいから、もう初夏の陽気だ。こう暖かくなると、もうすぐ毛虫が出てくるんだろうな。2年前はけっこういて、知らないうちに上半身にいくつも刺された跡ができてかゆかった。

しかし、去年は全然被害にあわなかったから、当たり年とハズレ年があるのだろうか(どっちが当たりで、どっちがハズレだ?)。

今日の現場はV町とW町、合計300件くらい。最初にV町。ある木造一戸建てのボロい家に一人で住む老女がいたんだけれど、前回から留守になった。

隣の人に訊くと入院したらしい。今日行ったら、もう回復の見込みがないのか、メーターを撤去してあった。そのばあさんは、僕が「水道検針でーす」と呼ぶと、足が悪いので、玄関から庭の木戸までの移動距離12mくらいの距離を3分くらいかけて来る。

関西なまりのひょうひょうとした感じの話し方で「どうも足がわるうてごめんなさいね。あんたコーラ飲む? 飲む? 遠慮せんでいいのよ。欲しいなら今すぐ持ってくるよ」とよく言われたものだ。

右足のくるぶしの辺りに大きなコブがあった。歩くときは、軽いびっこをひいていた。何回か世間話をしたことがあって、その時は、1950年くらいに関西から来たらしい。銀座の柳の並木道を歩いて、すごく楽しかったとかいうことを聞いた覚えがある。

彼女は身寄りがないとのことで、「わたしももう長いことないからねえ、死んだら、この家と土地はいとこの姪にあげることにしたよ。それで郊外の方のお墓に入れてもらうことにした」と以前言っていた。

もう全然死ぬことは恐くはないようだった。自分がもうすぐ死ぬだろうということを、まるで去年は雪が2回降ったとか、昨日さんまを買いに行ったらもう売り切れだったというような、単なる事実としてほとんど感情をこめずに話していた。

2,3日前から「死ぬ瞬間」という本を書いて有名になったエリザベス・キューブラー・ロスという人の自伝「人生は廻る輪のように」という本を読んでいる。この人によると、死ぬのは素晴らしい場所への旅立ちであって、全然おそれるべきようなものではないらしい。

エリザベスは心のやさしい誠実な医師であるのは確からしいが、チャネリングをして自分の守護神やイエスにも会うなど、多少とまどう部分もある。すごいエネルギーを持って人のやらないことをまわりの反対を押しきってやる人のことだから、とても面白い本だ。今度は「死ぬ瞬間」を読んでみよう。

V町の検針を終わって、次に行こうかと思ったら自転車がパンクしていた。仕方ないので、自転車を押して国道を500mくらい歩いて自転車屋を見つけ、修理してもらった。そしたらチューブだけでなく、タイヤそのものがもう擦り減ってしまって使い物にならないというので、交換してもらった。

その間待つこと1時間。K町の宝「来々軒」でチャーハン400円を食べ、報知新聞と朝日新聞を読み、コンビニで「週刊スピリッツ」と「週刊ヤングマガジン」を立ち読みし、バナナオレ(100円)を飲みながらぶらぶら歩いて行ったらもう交換は終わっていた。会社に経費を請求する領収書を忘れずに。

それから再調査とW町の検針を無事に終え、4時過ぎに帰社。金曜日からかぶっている帽子がちょっと邪魔だが、髪が長くてかぶらないと邪魔なのと髪が汚れるので、やはり必要だ。僕は元々頭が大きいのと髪が長くてふくらんでいるので、合うサイズがあまりなくて見つけるのに少し苦労した。