水道検針日記(199Z年1月20日)~石鹸をどうぞ。一つしかありませんけど

今日は昨日聞いた天気予報通りにとても暖かい一日だった。4月上旬の日和だったらしい。僕は冬は嫌いではないんだけど、やはり暖かい日はなんだか心が弾んでくる。今日は皆さんもそうじゃなかったですか?

今日の現場はN町とK町。合計240件。まぁ、N町の方は団地だし、楽な日だ。団地の方は3階建てと平屋の二種類あって、1960年代に建てられたものらしく、両方とも建物の間が広くとられており、この辺りにしてはけっこう緑が濃い地区だ。平屋の住宅には庭があるので、何軒か主婦達が日向ぼっこしておしゃべりしているのを見かけた。

僕が「おしらせ(水道料金が書いてあるもの)」を入れた後の家では「ええぇぇー、あんたのとこ、こんなに水道料金高いのぉぉ」なんて話してたりしてね。料金が高いのは僕のせいじゃないんだけど、その家の前ではなるべく木陰に姿を隠してしまう。

「ねえ、どうしてよ。絶対こんなのおかしいよ。うちは3人家族なのになんで1万8000円もするのお?」とかさ、怒りをぶつけてくる人もいるんだよね。お客さんの方でも検針員に文句を言っても始まらないということはわかっているのだが、とりあえずこの憤りを誰かにぶつけないわけにはいかないんだな。

およそ100件あまりの検針を一時間ほどで終了。今日は4割以上の増減がある家が2,3件しかなくて簡単だった。それにやはりぽかぽか陽気で気分的にラクで気分がのったのかもしれない。

それから昨日の分の再調査を済ませ、次の現場のK町へ。ここは12時40分過ぎから始めて終了したのが2時前だった。つまり会社にもどって簡単な書類整理を除いて一日の主な業務がこれで済んだ。

今日はどういうわけか仕事のペースが早かった。ここの冊には前々回と前回に僕に石鹸をくれた◎◎省に20年勤めていたというばあさんがいる。今日も検針に行ったら、門のところに、いつものように「水道検針員の方どうぞお入りください」という貼紙が画鋲でとめてあった。

それで中に入ると、メーターの横の木に透明なビニール袋に入った石鹸が吊るされてあって、その石鹸に「**様石鹸をどうぞ。一つしかありませんけど」というメモがテープでとめてあった。ありがたいことです。

それで全部で三つあるメーターを見終わってから、玄関にまわってばあさんに声をかけた。「あー、今日来たのね、今日来たのね。昨日来るかと思って待ってたんだけど、いらっしゃらなかったでしょ。それで今日は来ると思ってたんだよ。今日は晴れて暖かくてよかったわね。あ、これ、石鹸もらってね。こんな紙(メモ)はここら辺にうっちゃっといてね」とばあさんは元気に、半分トランス状態に入ってるんじゃないかと思ってしまうぐらいに一気に話し始めた。

今日もまた彼女の仕事時代の話になった。なんでも彼女は、現役時代によく皇居にいく用事があって、皇居で用事を済ませるのは、何時何分に○○室に到着して何時何分にまた入り口の詰め所に戻ってくるという風にかなり厳密に時間に拘束されるらしく、なんやかやと精神的にツライことが多いらしい。

皇居の中はだだっ広く、移動は全部馬車でするので、味噌や米までも馬車で運んでいたとか、官庁関係の仕事の用事で来る女性職員と馬車や詰所のところで働く男性職員が結婚するケースが多かったらしい。でも話の端々から察するに、彼女は結婚はしなかったか何かで一人で生きてきたらしい。

ばあさんが働いていた頃は、K町の駅も現在のところとはいくらか北にあったらしい。ドアは現在のように自動でなく、駅に着いたら駅員が一々開けていたんだそうだ。でも、桜木町で車両火災があり、その時にドアが中から開かなかったせいで何人も死者が出て、それから自動ドア化が進んだんだらしい。

自動化が進んでも、初めは独りでにドアが開閉するのが恐ろしくて人々はなかなか乗りたがらなかったそうだ。「そんな時代だったのよねえ」と彼女はキレイな歯の入れ歯を見せて笑った。

2時20分頃に帰社。この頃、インフルエンザが流行っているせいで、検針員の中にも何人か続けて休んでいる人がいる。そのせいで、明日は欠員のための応援をすることになった。ホントは疲れるので、その分金が入るとはいえ他人の冊までやりたくないんだけど、今後、僕も休むこともあるだろうし、ということで断れない。まぁ。100件くらいだし。同僚の某氏は、連日応援をしているせいで、給料が増えると喜んでいた。