水道検針日記(199Z年2月8日)~あいつは酒を飲んだ翌日は確実にサボる

今日はよく晴れて暖かい日よりだった。なんでもここらへんは3月下旬並みの気候だったとか。風邪から復調したとはいえ、まだ体調は万全ではないのでこのように暖かいのは助かる。

今日は偶数月の山場のU町とO町の日(合計370件)なので、比較的朝早く起きて、9時少し前に出勤した。こんなに早いのなんて久しぶりだ。早いとはいっても世間一般からしたら9時出勤なんて少し遅いぐらいなんだけど。

僕はいつも10時前後に出勤することが多いので、いつもより一時間早く来ると、普段はあまり顔を見掛けない同僚の検針員の人々の顔を見ることができる。やっぱり9時前に来る人たちって真面目そうだ。

バンドマンのジョニーなんて平均すると11時前後に出勤するみたいだから、帰社するのも当然遅くて、「社員の人達も余裕を持って審査するために検針員の皆さんには4時半までに帰社してもらいたい」という要望は彼の耳には届かない。

僕なんて小心者だから、ほぼ4時半までに帰ってくるように出勤時間も考えているのだが、ジョニーなんて頻繁に5時過ぎに戻ってくる。すごいなあ。

月曜の朝に、「体の調子が悪いので今日休ませてください」と会社に電話して、社員の人が「でも、2冊のうち1冊だけでも……」と言ったところ、「すいません。今、ボク、大阪にいるんです」と答えた豪の者である。

社員の間で、あいつは酒を飲んだ翌日は確実にサボるとも云われている。それでもしかし「仕方ねえなあ」という風に受け入られているのは彼の人徳だろうか。まぁ、たまには彼のような人がいてくれると、いろいろとこちらもやりやすいこともある。今後もペースを守ってほしい。

今日はU町から。9時40分から始めて11時50分に終了。この冊には美術専門学校があるので、学生用のアパートが多い。今日、この小さな学校の中に入ったら、卒業製作の準備期間らしく、提出に関する注意書きのビラが何枚かあった。やっぱり美術関係の学生は文学部の学生なんかとは明らかに服装とか雰囲気が違う。

U町の後は金曜に検針した分の再調査。いつだったか、毎回、ばあさんが木戸を開けてくれる家で「水道検針のたびにゾッとしますよ」と僕が言われたことを書いたことがあったが、今日その家に行ったら、どういうわけかニコニコして「さっきお使いから帰ってきたんですよ。あー、よかったぁ。検針の方にご面倒かけなくて済みました」と僕のホッペにキスでもしてきそうな機嫌の良さだった。天気がよかったからかな。

再調査を終えて、公園で昼休み。サンドイッチとおにぎり。あんまり食欲がない。この公園には桜の木がたくさんあるので、あと2ヶ月後に来ると桜が満開ですごくいい頃合いだろう。

食事を済ませてベンチでぼんやりしてたら、20代半ばの青年が車椅子に70代半ばの老人を乗せてやってきて、老人の歩行訓練を始めた。老人は脳溢血か何かで倒れたことがあるらしく、左半身が不自由なようなようで、2m歩くのに1分くらいかかっていた。

それから国道を渡り、沿いをO町へ。ここは川沿いの低地なので、住宅の密度が薄くて歩く距離が長い。土木関係の飯場みたいなとこや、ゼネコンの社員寮もあり、それぞれ敷地がけっこう広い。

しかし、今日は1時から始めたので楽勝である。

検針の間中、今日はヨルダンのフセイン王のことを考えていた。昨日死んでしまったのはテレビで知った。僕は4年近く前に一ヵ月かけてシリア・ヨルダンを旅行して、帰国してからはいろいろ調べたので、この地域に関しては多少思いいれがある。特にヨルダンは、1946年にイギリスから独立して、突然、預言者ムハンマドの子孫が落下傘的にやってきて王国を建ててしまった新興国で、西にイスラエル、東にイラクと現代の中東問題の狭間に翻弄される小国である。

ヨルダン川沿いをバスで走ると、行軍中の兵隊がバズーガ砲や自動小銃を持ってマイクロバスをヒッチすることがよくあった。僕は兵隊が民間のクルマをこんな風に利用するのを見てびっくりしてしまったんだけど、地元のおじさんおばさんには当たり前のことみたいで、「おお~、これがバズーガかぁ。対戦車用かな」とか、自動小銃の底をバスの床に立てると、先がちょうど僕の頭の辺りにくるので「これ、暴発したらどうしよう……」なんて心配してるのは僕だけみたいだった。

紅海のアカバに行ったときは、「湾岸戦争中はここからイラクに何千台ものトラックがピストン輸送してたんだ」とタクシーの運転手に教えてもらった。ヨルダンの新聞の一面は大体イスラエル関係ばかりだった。フセイン国王は17才で即位してから、何度もクーデターや暗殺未遂をくぐり抜け、中東戦争パレスチナ紛争をなんとか乗り越えてきた。アラブの国というのは、いわゆる民主的な政治制度を持つところはまずなくて、ヨルダンも王様が内閣を指名し、全ての法律に署名し、軍隊を指揮し、憲法改正を承認するという完全な前近代的ワンマン体制である。

フセイン国王は絶妙なバランス感覚を持つと言われているが、それは要するに政治家としての主義主張をかなぐり捨ててでも、生き残りを最優先させたということである。一例を挙げれば、湾岸戦争当時、パレスチナ人が国民の6割を占めるヨルダンは、イラク支持、サダム・フセインはアラブの英雄としていたものの、イラク軍が完膚なきまでに多国籍軍に敗れ、国際的非難が頂点に達すると一転してイラクとの絶縁を宣言している。

隣国のシリアは、湾岸戦争時、クウェート側について莫大な額の援助をもらっている。アラブ地域は、植民地支配の負の遺産イスラエル問題、石油資源の偏在など非常に複雑な背景を背負っている。考えてみたら、もちろん苦悩はあるものの、一人の政治家としてフセイン王ほど波瀾万丈で面白い生涯を送った人もいないかもしれない。それにしても、シリア・ヨルダンは楽しかったなぁ。またホンモスをたっぷりつけてホブスを食べたい。

O町を終了させて3時半帰社。会社で検針員A子さんから「昨日、テレビに出てたでしょ~」と言われた。実は昨夜、テレビ**の「サンデー****」という番組の**特集に顔を隠してコメントをしたのだ。放送後、3人から電話があって、「テレビに出てたじゃん」というメールが1通来た。深夜帯とはいえ、芸能人が出演しているせいか、思ったより反響が大きかった。ま、それも一過性なんだけど。多分、これが僕にとって最初で最後のテレビ出演になるんだろうなぁ。