水道検針日記(199Y年10月22日)~開始手続きのお願い!

一週間ぶりの検針日記。昨日は一日雨だったが、休みだったので助かった。冷たい雨の中カッパを着て仕事するのはツライもんなぁ。

今日の現場はA町とW町。合計290件くらい。A町には幹線道路が走っているて非常に空気が悪い。道路の沿線にもちゃんと住宅がぎっしり並んでいて、僕はこんな所に住める人達に感心するんだけど、住人たちはどんなに空気が悪くても、窓の外に醜いコンクリートの高架が走っていても全然気にならないみたいだ。すごいなぁ。

先日の台風10号が来たとき、ニュースで各地の川の増水の様子を映像でみて改めて感じたたのだけど、日本の川はどこも岸が徹底的にコンクリートで固められている。もちろん自民党が公共事業を興して、建設会社を潤し、見返りに建設業界が自民党の票田になっているという悪があるにしろ、しかし根本には簡単に環境破壊を許す平均的日本人の美的感覚の問題があるような気がしてならない。


さて検針に戻ると、A町で検針していたら、よくあるタイプの古い二階建てのアパートがあって、そこはメーターが全部一階に並んでいて、集合ポストが一階の道路に面した側にある。二階の住人のポストに「おしらせ」を入れようとしたら、二階に四室あるうちの三室までがポストにガムテープを張って「お手数ですが、郵便は二階のドアポストまでお願いします」とある。

こういうのは腹立つね。横着しないでちゃんと下まで降りて来て欲しいね。他にもたまにこういうのはあるが、テープまでは張られていないので無視してそのまま入れることもあるし(だって「郵便」じゃないもん)、以前、ポストの口を紙でふさいでいたときは穴を開けて強引におしらせを突っこんだこともあった。まぁ、ささいなことではあるが、確実にムカつく。僕なんかはまだ二ヶ月に一度だからまだいいものの、郵便屋は大変だな。そういうのはもうあきらめてるのかな。

検針をしていてムカつく、腹が立つといえば、入居調査がある。簡単にいうと水道開始の手続きをしないでそのまま使う奴に連絡をとらせることだ。水道や電気はガスと違って、業者が来なくても勝手に使えるのでこういうのがよくある。

一戸建てや家族用のマンションならまだいいのだが、手間がかかるのが単身者用のアパート・マンションで、やつらは昼間はあまりいないし、仮に部屋にいたとしても黙って出てこないことが非常に多い。物音を立てないでいても、電気メーターの回り方を見ればおおよそ在/不在くらいは検討がつくのだ。

新聞屋や宗教関係の勧誘などがうるさくて、知らない人の訪問には答えないというのは理解できるにしろ、人様に無断で水を使っているからには「開始手続きのお願い」の紙を見たら、即座に検針会社に電話を入れるのが人としてこの世に生まれ落ちた者の義務ではないか。

その「開始手続きのお願い」には「お客様番号(10ケタ)」と「冊番号(4ケタ)」と「検針番号(1~3ケタ)」と「使用水量」と日付と僕の名前を書かねばならなくて非常にめんどくさい。

この「開始手続きのお願い」を無視するやつは許せないね。今日行って不在だったら翌日また紙を入れて、場合によっては不動産屋に電話をしなくてはならない。あくまで瞬間的にはだけど、僕にとっては某犯罪容疑者などよりやつらの方がよっぽど憎々しい時がある(あの報道は問題だが)。

時々、そいつらには懲役刑をくらわせてやりたいと思う。執行猶予じゃ生ぬるい。刑務所で同房の奴から「おい、お前何やったんだ?」と訊かれて「うん……つい面倒くさくて水道局に無断で水を使って、催促も無視してたら捉まったんだ」なんて会話があったら愉快だね。

W町の方は全部マンションで、各階に23も部屋が並んでいる。だから1号室から23号室まで80mくらいもあるのではないか。23号室を終えたら、非常階段で下の階に降り、1号室まで行ったらまた下に降りるというのを延々繰り返す。こういうマンションは単調で面白味がなくて、バタバタ音を立てているとドアを開けて出て来た住人に怪訝な顔で見られるが、こういうところは短時間で数をたくさんこなせる。

今日は10時過ぎに出社して会社に戻ったのは3時半だった。今月の検針は明日で終わり。明日は170件くらいしかないから午後から行ってもいい。それから月曜のミーティングが終われば今月の業務はすべて終了だ。はー、嬉しいなぁ。

水道検針日記(199Y年10月15日)~養子に勧誘された話

そうか、8日ぶりの検針日記か。最近、どういうわけか仕事で疲れて、家に帰ってからもグターっとして何もする気にならなかった。前2回は随分長く書いたしね。

7日の分なんか書くのに2時間半もかかった。ちょっと頑張り過ぎて反動が後から来たのだろうか。それと、10月に入って次第に空気が寒くなってきて、なんとなく内省的になったのか、こんなモノを書いている場合なんだろうか……という気分にもなった。今ごろ気づくようなことでもなかろうに。

今日は10月としては異常に暖かく、9月上旬並みの28度くらいまでこちらの気温は上がったそうだ。金沢なんて30度を越えたらしい。やはり温暖化現象は着実に進んでいるのだろうか。毎年、気温が高くて「異常気象」などと言われているが、今の子供たちにしたら、これが当然の気候になるのかもしれない。

今日はちょっと蒸し暑く、台風10号の影響が多少あるのか風があった。朝、ちょっと寝坊して10時半に起きて、おかげで体も頭もさっぱりして11時に出勤。昨日は休みだった。中休みがあるととても助かる。

今日の現場はU町が2冊。合計280件くらい。冊と冊の現場が隣あっているので、5分くらいジュースを飲みながら休みをとっただけで一気にやってしまった。

ここの冊には、夫に先立たれて孤独に暮らす老女がいて、以前、二回程コーヒーをもらってトークをしたことがある。確か去年の12月が初めてで、前回の8月に久しぶりにそのばあさんと話をした。

そのときは、「おとうさん」が死んでしまって寂しいのは相変わらずだが、一時と比べるとだいぶ落ち着いたようなことを言っていた。それで前回聞いた、いかに亡くなったお父さんがいい人か、近隣の人に愛されていたかという話をまた聞いた。

それで話はかわいい孫と全然家に寄りつかない娘たちの悪口になって、突然、老女が僕に「ねぇ、あんた長男?」と聞いた。「いえ、次男ですよ」と答えると「じゃ、あんた、うちの養子になんない?」と言われた。

どこまで本気かちょっと判断がつくかねる部分があったが、実際、養子縁組をすることになったら、遺産相続を巡って親族との激しい口論に巻き込まれるのは間違いないし、第一、そのばあさんの面倒を看るのもイヤなので「いやー、それはちょっとねー」と断っておいた。

彼女はちょっと残念そうにしていた。なんでも新聞配達の青年あたりにも「あんた長男?」と訊くのだそうだ。この話を友人Pにしたら「なんで養子にならねーんだよ!」と言われたが、多分、老女は、子供たちの関心が自分に向けられないことに不満で、「養子をとることにしたから」と子供に揺さ振りをかけて、もっとあたしの面倒をみなさいよ、寂しいんだから遊びにも来なさいよ、とアピールしたいんだろうと思う。

老女が一人で住む家は敷地が30坪弱というところ。一坪200万円としても6000万、税金や分配をしても1000万円は入ってくるんだろうなぁ。しかし、金のモメゴトって本当に嫌だよね。普段は普通の優しい人でも、遺産相続にでもなると平気で酷いこともするんだろう。若くて独り身のときはそうじゃなくても、子供ができると変わるのかな。

ところで、なんで友人Pが僕が養子になる/ならないということにまで口をはさむのか。たとえ僕がビル・ゲイツの養子になっても、あいつには1円だって入ってこないというのに。

一冊目の後半に家族用マンションがあって、そこでは、ドア横のメーターボックスを開けて、メーターの指針を見、「おしらせ」をドアの差込口に入れてまわるんだけど、ある部屋で70くらいの男が、物音がして何事かと思ったのか、ドアを30cmほど開けて僕の方をじっと見ていた。まぁ、こういうことはよくある。

一瞬、その男と目があって「あ、水道検針です」と声を掛けようとしたものの、男の顔があまりにも無表情で、無機質な感じがしたので無視して仕事を続けた。何か言うかなと思ったけど、結局何も言わず、しつこく3分くらいずっと僕の方を見ていた。それだけ。

再調査を終えて、会社に戻り、着替えて外に出たのはまだ4時前だった。空気は生暖かく、湿っぽかった。明日はやはり雨なのかな、と思って西の空を見ると意外に明るく晴れていた。日中はなんとか大丈夫そうだ。明日は少し早めに出勤しよう。それと、台風10号がそれてくれるといいな。

水道検針日記(199Y年10月7日)~あんたに言ったってわかんないよ

さっき、去年の今ごろの水道検針はどんなだったかなと思ってその頃の分を読み返してみたら、9、10月とほとんど丸々二ヶ月何も書いてなかった。7,8月書いただけで飽きてしまっていたのだ。しかし、読者から35万3921通もの再開を望むメールが来たのでまた始めたとある。そんなにメールが来ていたのか……。

今日の天気予報は午後から雨とのことだったので、本格的に雨が降り始める前に検針を終えてしまおうと、今日はなんと9時前に出勤。平均すると10時過ぎなのを考えると通常より1時間も早い(よく考えたら別に大したことじゃないな)。

1時間早いと登校する中高生の姿を見掛けるし、駅の中にも9時半頃と比べて3倍くらい人が多い。しかも8時台は人々の歩くスピードが速い。いつだったか、サンコンさんのお母さんがギニアから東京に来て、あまりに早く人が歩くので戦争が始まったかと思ってかなり慌てたという話を聞いて笑ったことがあるんだけど、今日、久しぶりにラッシュの時間に電車に乗ってその気持ちが少しわかる気がした。

利用客の歩く早さはもちろん、特にその表情が皆一様に緊張気味というか、余計なことに構ってなんかられないという風にどこか険しいのだ。日頃、ラッシュがすっかり終わった時間帯に電車に乗るのに慣れていると、通勤時間帯の人々の動きの早さとその無駄のなさには違和感を感じる。

今日の最初の現場はU町220件。ここは前回2時間で終了させて感激したところだ。今回は足がまだ悪いながら2時間10分で終えた。次のR町が150件で2時間20分もかかったことを考えると、いかにアパートが多いと検針が楽か、反対に一戸建ての住宅街は長く歩くことになるかよくわかる。

 

U町が終わって、R町に行く前に昨日検針した場所の再調査に行った。一件、板塀に囲まれたお屋敷風の家があって、昨日留守で検針できなかったので、今日も行った。そこはいつも70代半ばの疲れた様子ばあさんが出て来て木戸を開けてくれる。

このばあさんには検針するたびに会っているのだが、いっつも表情が暗くて視線も合わせず、「はい」とか「どうぞ」以外ほとんど何もしゃべらない。僕がメーターを見ているときは、ばあさんは落ち着きなく憂鬱な顔で草むしりなんかしている。

大抵のところでは「今日はよく晴れてよかったわねぇ」とか「暑いのに大変ねえ」と軽い挨拶くらいするものだが、そこのばあさんは愚痴みたいなこと意外何も言わない。

今年の初め、いつもよりさらにメンドウくさそうに「どうぞ」と言って木戸を開けてくれて、僕が検針を終えて「おしらせ」という料金などが書かれた紙を渡したら、軽く笑いながら「もうねえ、検針が来るたびに私ゾッとしますよ」とばあさんが言った。

僕はよく意味がわからずに「え?」と言うと、彼女は同じことをもう一度言った。一々木戸を開けるのはメンドウなのはわかるけど、ゾッとするはないよなあ。それで僕は「ああ、そうですか。同じですよ。僕もこの家に来るたびにゾッとしちゃうんですよ。奇遇ですね。わはは」と言ってやった。ざまあみろだ。

 

僕が担当するR町の区域は川沿いで、土地が低い地帯なのであまり家がなく、ここら辺では住宅密度が低い。従って上にも書いたように歩く距離が長い。反面、こういう所ならではの、林や空き地なんかが多くてそれで和(なご)むと言えば和むことができて楽しい。

この冊の終わりのある家でメーターがゆっくり回っていて、漏水かと思って聞いてみたら台所から水が流れていただけだった。以前、この家で比較的大きな漏水があったので、またかと思ったのだ。

一度漏水したところは、全体的にパイプが腐りやすくなっているので、何回も起こることがある。その以前漏水したのはもう2年も前で、水量がいつもの3倍にもなっていたから、その旨を告げにベルを鳴らしたら、縁側に一人のじいさんがいた。その時、家にはじいさんしかおらず、漏水修理などのことは息子が帰ってくるまでよくわからないとのことだった。

老人の常にして、彼も寂しいらしく、何かしら僕に話をふってきた。僕も、それでその日の仕事が終わって、あとは帰るだけだったから世間話につきあうことにした。彼は90才で、年をとって仕事を引退してからは趣味が大切だと言われていろいろやったが、結局、脚も悪くなるし、せっかく盆栽を作っても力がないから満足に鉢も持てなくて、趣味も続けることができないとボヤいていた。

90才にしてはかなり頭ははっきりしている。話がくどくなることもない。90才という年齢から、彼も戦争に行ったのかな、と思って、思い切って訊いてみた。老人は「ああ、行ったよ」と言って、軍隊時代の写真と日の丸に寄せ書きをしたものを押し入れから出して見せてくれた。

その写真は老いた現在の姿からは、あまり想像がしにくい程がっしりとした骨太の体格で、かなり気の強そうな顔をし、日本刀を地面についてそれを両手で支えるポーズをとっていた。

日の丸のほうは「武運長久」や他の文句の他に中国語で何やら書いてあり、それは「支那軍」と戦ったときに相手を殲滅して通訳の「支那人」から感謝の言葉を書いてもらったらしい。老人はあまり乗り気でないものの、ちょっと強引に話を聞くと、彼は1937年に上海から中国に上陸し、南京まで行っていた。

ちょうど南京大虐殺の頃だ。戦争はどんなだったんですか? と訊くと、老人はうつむき加減になって「あんたに言ったってわかんないよ。そんなに簡単に口で言えるもんじゃないんだから」とポツリと言った。

僕は内心では、中国でたくさん人を殺して村を焼いて、女を強姦した、という答えを期待していた。多かれ少なかれ大半の日本兵は戦地でひどい行いをしているはずだからだ。しかし、その時、それ以上僕は戦争のことは訊けなかった。老人が中国で何をしたかは別にして、現在に至るも60年近く前の過去のことが彼にとってはいまだに生々しい出来事であるらしいからだ。

今日、その老人の姿を縁側のガラス越しにチラリと見た。車椅子があったので、2年前より脚が悪くなっているみたいだ。もう老人も92才。いつかまた話をしたいと思いながら、勇気がないこともあってその機会がない。

 

先日、「プライベート・ライアン」という話題の映画を観た。これは父親がヨーロッパで連合軍兵士として戦ったスピルバーグ監督が、子供の頃から聞いていた戦争の話をいつか映画にしたいと想っていたものらしい。ストーリーとしては大した起伏やひねりがあるわけではなく、全体の半分近くがリアルな戦闘シーンで占められている。

あまりにリアルすぎて苦しくなるくらいだった。この映画については「キネマ旬報」では反戦映画だという見方もあったが、僕は、スピルバーグは全然そんなことは考えてないと思う。いくら苦しく、多大な犠牲をともなうものであっても、守り、勝ち取らねばならないものがあるというのが欧米の(というより日本以外の大半の地域の)考え方だからだ。戦争はしたくない。

しかし、ナチスの侵攻も、その思想も許すこともできないなら戦うしかないだろう。結局、スピルバーグの言いたいことは、過去の歴史に埋もれた(あるいは埋もれようとしている)巨大で過酷だった出来事において、まずその事実を知り、それに関わった人々の想いを理解して欲しい、できれば彼らの悲しみに共感して欲しいということだろうと思う。自分の父たちが命懸けで達成したことが、簡単に忘れ去られて戦死した兵士や、今も生きる元兵士たちに敬意が払われないことが耐え難かったんじゃないかと思う。

水道検針日記(199Y年10月5日)~漏水の恐怖

今日から気温が平年並みまで下がってぐっと冷え込み、本格的に秋が始まったような気がする。急に涼しくなって風でもひいたのか今日はよく鼻水がでて、くしゃみも多かった。出勤に今シーズン初めて長袖シャツを着て行った。これから段々寒くなっていくんだな。また新たに季節の歯車が大きく回ったのだ。

今日は比較的件数が多くて、2冊で合計390。実は土曜日に比較的ハイソな人たちとフットサルというミニサッカーをやって、僕は言うまでもなく活躍したのはいいのだが、終了間際になって左足首をひねってしまい、くるぶしの形がよくわからないくらいに足首が腫れてしまった。ねんざだ。

元々、軽い症状の上に、湿布を買ってずっと冷やしていたので、あまり痛みはないものの、歩くとき軽くびっこをひいてしまう。検針は肉体労働なので体が資本。怪我をして仕事ができなければ収入もない。これがまだ仕事中の怪我なら6割程度の給料は出るが、サッカーで大怪我しても一円も入ってこない。生活のために体を大切にしなければ。

今日は400件近いので、9時半には会社に行くはずだったが、少し遅刻した。昨夜はイタリア・セリアAでサッカーをやっている中田があのインテルと試合をやるというので3時近くまでテレビを観ていたのだ。

僕は、一昨日ちょっと久しぶりにサッカーをやって改めて思ったんだけど、やっぱりサッカーは面白い。観るのもいいが、自分がやると面白さがまた違う。暮らしに必要な活動の他にいろいろと趣味があると生活を豊かにしてくれると思う。僕は音楽を聴くのが好きなので、いつかギターに挑戦したい。

今日の検針はW町から。軽くびっこを引く上に、左足に重心をかけられないため、多少検針のスピードは落ちるが、大した遅れではなかった。現場は半数以上マンションだったので足場が悪いところが殆どなくてラッキー。

今日は特に目立ったことはなかったが、H町のワンルームマンションの管理人が「巡回中」の札を出したまま今日も不在だった。勤務時間でもいない時間の方が多いんじゃないか。彼がいないと中になかなか入れないのでとても困る。マンションの中でも姿を見掛けなかったし、あの管理人は一体どこを巡回しているのか? 駅前でパチンコでもやってるんじゃないのか。

今日は半数以上がマンションの検針で、なんやかやと今日は2時間以上マンションの廊下にいたことになると思う。マンションの廊下というのは、(まぁいろいろなマンションがあるわけだが)基本的に人けが少なくて殺風景で、日当たりが悪く、薄暗いところが多い。

無心で検針をしている途中で、時々ふと我に帰って何となく周りを見回してみると、僕一人しかいない暗い廊下の床に薄暗い蛍光燈が反射して、遠くからクルマが走る音が聞こえる。そういうときに先日ビデオで観たホラー映画のことを思い出したりするとけっこう本気で恐い。マンションってどういうわけか固く自分の部屋を閉ざして、外界と無関係・無関心でいるような気がして好きになれない。

会社に戻って、倉庫代わりにしているアパートが漏水していることを知らせるためにある家に電話した。何しろすごい勢いでメーターが回っていて、すでに金額にしたら15万2880円分にもなっていたのだ。

電話すると女性がでて、それは離婚した夫が借りているところだから、と携帯の番号を教えてもらった。その元夫のところに電話したら、その借り主の男性は、近くにいたのか、すぐにそのアパートに行って自室の水周りから漏れなどがないことを確認し、バルブも閉めた。どうやら地中漏水(地中を通るパイプが腐って水が漏れ出すこと)らしい。

いつもは3000円くらいしかかからない水道代が15万円分も水が無駄に流れたことを聞いて男性は当然のことながらかなり驚いて不安そうだった。地中漏水なんかまめに水道メーターを見ないことには発見できるわけがない。一体、水道メーターをこまめにチェックする人がこの世にどのくらいいるのか。

地中漏水の場合でも水道代はそのままお客さんに請求することがあるらしいんだよね。漏水個所によって自己負担か無料か決まるらしい。その基準は社員さんも知らなかった。水道局だけが知っている。

しかし、漏水で15万も払えって言われたら困るよねぇ。自分では全然使ってなくて不可抗力で無駄に流れただけなのに、そんなこと言われたら誰だって理不尽に思うよ。漏水の修理だって自分持ちなんだから。なんだかんだ言ってみんな渋々払っているのだろうか。僕は漏水を発見した後のことまではよく知りません。

どこかで「こんなの俺の責任じゃないから絶対に払わない」って支払拒否して頑張ってたら結局、水道局の方が折れてタダになったということを噂で聞いたことがあるけど、本当なのかなぁ。

漏水というのは、使用者だけじゃなく、検針員にも大きな問題になることがある。今年、僕がいる管内でメーターボックス内漏水があって、漏水が激しく地中に染み込んだせいでなんと家の土台が傾いてしまい、その弁償だか保証だかを検針員が求められたのだ。

ボックス内漏水を見逃したせいで家がおかしくなったのだ、地中漏水ならともかくメーターボックス内の漏水を見逃したのは検針員の責任だと。その被害者だってせっかく何百万だか何千万だかかけて造った家がそんなことで壊れそうになって必死だったろう(それにしても何てモロい土台だ)。

結局、漏水は前回の検針以後だったらしくてそれは問題にはならなかったが、それ以来僕は漏水がとても恐ろしくなった。全然バカになんかできない。検針員は大工などと同じように会社と個人契約をしているフリーの労働者なので、会社が知らんぷりしたら、過失などは全額でないにしろ、ある程度の個人負担を求められるかもしれない。「ある程度」と言ったって、それじゃ家が壊れたら何百万円も払うことになるのか? ね、恐いでしょう?

ところで、アパートを倉庫代わりにしている男性は「いやー、このアパートにはたまに物を取りにくるだけで、寝泊まりは近所の別れた女房のとこでしているもんですから」と言っていた。うーん、なんだかよくわからない。

奥さんの方は「それは離婚した夫のことですからわかりません」という感じでつっぱねていたから夫の方が居座っているのだろうか。奥さんの方は困っているのかなぁ。まぁ、関係ないんだけど。

水道検針日記(199Y年10月1日)~雨の日はカッパで

こんにちは。月末の休みも終わり、皆さん待望の検針日記が今月も帰ってまいりました。読者の皆さんの日々の潤いにいささかでもなればと想い、書きたいときは思い切り、そうでないときは適当に。日差しも淡く、枯れ葉散り始める秋の労働の日々を綴っていきたいと思います。

実は9月の25日から29日まで、友人がいる秋田に遊びに行ってきた。その友人に連れていってもらって白神山地(ブナ林の世界遺産)に行ったり、マウンテンバイクで秋田市近郊の田舎を走ったり、単線の無人駅の田舎にブラリと行って海岸線を歩いたり、銭湯みたいな温泉に入ったりと短い旅行をした。今月もどこかに行こうかなぁ。

ところで今日は朝から激しい雨が降っていて、午後に入れば晴れるという情報を会社で誰かが言っているのを聞いたが、検針をしている間はほとんど間断なく降り続いていた。このくらい強く雨が降ると、カッパを着るかどうか迷うことはないので、潔(いさぎよ)いといえば潔い。

今日の現場はK町で、合計280件、冊は二冊あったが、現場はとなりの区画だったので3時間半くらいで終了。いつもは雨は大嫌いだが、休み明けで体力があるというのと、検針自体が多少新鮮に感じられるというので、それほどしんどいことはなかった。

カッパが蒸れないというのも嬉しい。雨の中で仕事をしていると、いつもより人に優しく扱われるというか、「雨の中ご苦労さま」とか「大変だねぇ」とよく声をかけてもらえる。

僕がメーターを見ている傍を通る人などは、なるべく邪魔にならないように気を使って、しかもどこか恐縮している。まぁ僕が客の立場だったら同じように「大変な仕事だよなぁ」などと同情みたないなものを感じたかもしれないけれど、やっている本人は、そりゃあ晴れている方がいいにしろ、一々雨が降ったくらいでそんなに気を使わなくてもいいのにと思う。

検針を終えたのが午後2時20分くらいで、のんびり自転車をこいで45分くらいに会社に着いた。それで3時には上がり。再調がないから初日は楽だ。

晴れた日には、僕が頭にタオルをまいて仕事をしていて、雨のときは雨に濡れないのとカッパのフードをかぶるせいで、野球帽スタイルの帽子をかぶる。帽子をかぶった姿を鏡で見ると、僕が髪が今けっこう長いせいか、どうも怪しい。全然堅気には見えない。我ながらなんだかバイクを使ったひったくりとか性犯罪者予備軍に見える。

ま、いいか。どうせ検針員なんて堅気じゃないんだから。

水道検針日記(199Y年9月18日)~老女たちの話

昨日の夜から時折降っていた雨は今日になっても続いた。今朝は10時40分頃出勤したら、昼近くになって雨が降り始めて、カッパを持ってきていなかったので「困ったな」と思ったが、5分くらいしてまた止んだ。こういう、弱い雨が降っては止み、というのが半日続いた。

今日の現場はN町の団地とK町で、合計250件くらい。楽な日だ。

そういえば、2ヶ月前にこの現場に来たときも、雨が降っていて、帽子を被っていたせいか、僕はベランダのひさしのようなところに額をぶつけて、その後、小さなマンホールに片足をつっこんでひどい目にあったのだ。特に雨の日は気をつけなければ。

団地はあっさり終わって、K町の住宅街を検針。ここは繁華街から歩いて10分ほど離れているので閑静なところ。検針をすると必ずタバコをくれる(僕は吸わないのだが)おばあちゃんは今日も元気だった。

以前は、左手を後ろに回して巧みにタバコの存在を隠していた彼女だが、もう慣れてしまったのか、どうもここ1,2回は腰の辺りにタバコが露骨に見えてしまっている。僕がメーターを見終わり、門のところに戻ってくると、「ハイ、これ」とさっとばあちゃんがニコニコしながらタバコを差し出し、ちょっと大袈裟に僕が驚くというのがお約束だったのだ。もっと緊張感を持ってやって欲しい。

そのおばあちゃんが住む家の向かいに、84才のこれもまたばあさんが一人暮らしで、自分の家の隣にアパートを建てている人がいる。

僕が検針していると「ねえ、水道屋さん、この前はごめんなさいねえ」というので何のことだと思ったら、前回、アパートの方の水が前回と比べて倍に増えていたので「何か変わったことがありましたか?」といういわゆる「増メモ」を入れたことを言っていたのだ。

「あのね、うちのとこはね、**の学生さん、女の学生さんしか入れてないんだけどね、一人の方が、妹さんがお風呂も洗濯機もないとこに住んでるから、それでお姉さんのとこに毎日お風呂に入りに来てねえ」とホントにあきれましたわ、という顔で言っていた。

通常、入居者は学校に紹介してもらって部屋に入れているのだが、何回か会っただけでは人柄はわからなくて、どうしてもハズレもある、水というのは大切な資源だから無駄遣いをしてくれるなと何回も言って聞かせたが、全然変わらないので困っていた。しかし最近その問題の人物が出ていってくれたのでほっとした、というようなことを嘆いていた。

その反面、店子を入れているといろいろ勉強になること、刺激になることもあるそうで、お金を月の前半分、後半分と二つ、袋に入れて分けておいて、前半分がなくなってもガマンして後半分をできるだけ使わないでいるとお金が自然にたまるのだということを学生さんに教わって実践したら確かに本当だった、家庭の教育がしっかりしているお嬢さんはイイ、あんたもそういう人をお嫁さんにもらいなさい、食事の後で脚をドサっと投げ出すようなのはダメよ、と言われた。ははは。

なんでも彼女はかつて○○庁に勤めていたので年金がかなり充実しているらしい(「年金もらえて本当に良かったわ。良かったわ」だって)。それで仕事の関係で昭和天皇に何回も会ったことがあるとのことで、「あなた、天皇陛下って日本で一番偉い人だから、すごくいい暮らししてると思うでしょう? ところがとんでもない。ある日ね、あたしが仕事で宮内庁にたのよ、そこにたまたま昭和天皇がいらして「皆さんは今日、寿司が食べたいと思ったら食べられるでしょうが、私はそうはいかないんです。献立が全部決められていて自分で変えることができないんです」って言うのよぉ」。

彼女は何回も昭和天皇に会っているそうで、天皇は和菓子みたいなのを食べるときでもスーツを着た毒味役の人が必ず先に食べ、自分が食べ終わるとさっと立ち上がって一人でスタスタ行ってしまうんだそうだ。ばあさんは腰が少し曲がって脚も多少不自由みたいだが、非常に元気。

一重まぶたで、よくみたら去年出産のため辞めた事務の女性に似ていた。話を聞いていると、なんだか、もっと若くて全然皺のない顔で官庁をさっそうと歩く彼女の姿が自然と思い浮かんだ。まぁ、そんなような老人の半分独り言のような話を立ち話で10分近く聞いた。

僕はどういうわけかこういう年寄りの話が好きなんだな。「昔、こういうことがあった」という話をしているときの老人の顔はすごくイキイキしているし、何よりも話し相手に向かって必死で本気である。

彼・彼女らは、友達もすでに少なくなっているし、寂しいというのが最大の理由だが、僕は少なくともここ数年、こんなに一生懸命こちらに話し掛けて来る人たちを老人以外に知らない。まぁ、全部が全部というわけではないものの、機会があったら、そういう人たちの話はできるだけ聞きたいし、それが面白い話だったら記憶にとどめておきたいと思う。そんなわけで今日はいっぱい書いたなぁ。

水道検針日記(199Y年9月17日)~台風一過

昨日の夜半から今朝9時過ぎまで台風5号の影響で激しく雨が降り続いた。風はあまりなかったですね。

どうやらかなりスピードがある台風だったようで、昨日はテレビを見ながら「今日、本当に雨が強く降るのかなあ」と訝しく思っていたらちゃんと大雨になったし、今朝の8時過ぎにはざんざん降りの空を見て「本当にあと、1,2時間もしたら雨がやんでそれから晴天になって35℃にもなるのだろうか」と不安に思っていたら、ちゃんと10時頃には青空が見えた。35℃まで上がったかは知らないけど。

今朝、目が覚めたのは8時過ぎで、朝食をとってから出勤しようかと思ったが、やはり天気予報を信じて雨がやむことこ待つことにした。今日は比較的件数が少なくてよかった。一昨日みたいに460件もノルマがあったら大雨の中、検針をするところだった。

9時半頃に雨がやんだので、それから出勤。現場に出る頃には西の空は真っ青だった。もう9月も半ばといえ、まだ夏の空だった。突然こんなにあっさりキレイに晴れ上がって(僕は嬉しいんだけど)、ついさっきまで豪雨の中、カッパに長靴で仕事をしていた人は気の毒だなぁ。

検針の方はあっさり終わった。やはり晴れている中で仕事をするのは雨よりも23倍くらい楽だし、精神的に明るい。朝のうちだけ雨で、僕が出勤した頃に止んで、それで雨天手当てがついてくれるのがベスト。

昼休みに小さな図書館に入ってサンケイスポーツと地方紙を読んだ。防衛庁汚職よりもペルージャの中田の方が気になってしまう。たった一試合で活躍したからってマンチェスターユナイテッドから誘いがかかっただのユベントスが中田のチェックを始めただのと、はしゃぎ過ぎだ。

2冊目のB町6丁目では、いつも道路沿いに犬がいる家があって、僕は前回までこの犬に吠えられてビビリつつ塀を乗り越えて(構造的にそうせざるをえないのだ)メーターを見ていたのだが、今日は犬を無視してというか、ニラミつけて威圧してみたら完勝だった。まぁ、向こうも今日はあんまり相手にしてなかったというのもあるんだけどさ。

会社に4時ごろ戻ったら、帰社しているのはまだ2割くらいしかいなかった。いつもは8割は戻っているはずだ。それだけ台風の影響が強かったということか。

会社を出て駅まで歩いていたら、帰社途中の同僚のジョニーとすれ違った。何か言いたそうな顔をしているなと思ったら、月曜に居酒屋で飲んで僕が立て替えておいた1700円をまだ返してもらってなかった。もしかして彼は、僕が忘れるのを期待しているのかもしれないが、そうはいかないぞ。