水道検針日記(199Y年11月26日)~悲しいけれど、それが人生だ

今日は今月最後の仕事だ。昨日で検針は全部終わって今日は再調査だけ。昨日は飲み屋に遅くまでいたせいもあって夜更かししたので、今朝は11時半頃まで寝ていた。それで12時40分に出勤。同僚と月末休みの予定などを話して、それから出動。

B町を2冊分まわって帰ってきた。昨日はどうも無届け使用が多くて、4件ぐらい「水道検針で~す」とドアをノックして、不在の様子なので「開始手続きのお願い」メモを入れた。

空き家にはよく、ドアのところに、水道と電気の開始手続き用紙がビニールの袋に入ってかけられているんだけど、今日行った一軒のアパートには、その電気と水道の用紙がドアノブにぶら下がったままだった。水量からすると、すでに住み始めて2週間ぐらいはたっている。

まぁ、僕の友達にも同じようなズボラな人はいるが、それにしても一体ねえ……。もうどこにでもこういう「後から金払えばいいんだろ、細かいことガタガタ言うな」式の人はいるので、空き家になった時点で水道局が水を出ないようにしてしまうのがベストではないかという気がするが、そうするとまたどこかで問題が発生するのだろう。

そういえば、先日「開始手続きがまだのようなので、お名前と入居日をおしえて下さい」と僕が言ったら「おかしいですねえ、開始手続きがまだだったらどうして水が出るんですかねえ」なんて寝ぼけた人もいたし。

今日で今月の仕事は終わった。嬉し~い。この解放感は何回繰り返してもいいね。ところで、今月ちょっと印象に残っていることがあった。

そこはいつも必ずばあさんが家にいて、庭の戸のカギを開けてくれ、毎回「今日は暑くて大変ねえ」とか「雨が降ると大変よねえ」と軽い世間話をするのだが、今回は不在だった。そこの家にはメーターが二つあって、翌日に残したくなかったので参ったなぁと思い、全部終えた後でもう一度その家に行ったらやっぱり不在で仕方なく帰ろうとしたところに、ばあさんがちょうど自転車で帰ってきた。

「おぉ、ラッキー!」と思ってニッコリ笑って「こんちはー」と挨拶すると、「あら水道屋さん、ごめんなさいね。ご迷惑かけちゃって」とばあさんは視線があまり定まらない目で言った。

「あのねぇ、うちのおじいさんがこの間、老人の健康診断受けたら、あの、便に出が混じっててね、うん、多分大腸に腫瘍があるのね、それで再検査したらまた血が混じってたんで、今日あそこの○○町のP病院で精密検査してもらってるの。それで今日は留守にしててね。午前中にちょっと検査して、午後にもまた検査があるんだけど、1時半からだっていうから、ちょっとお昼食べに戻ってきたのよ」

大腸から出血というと深刻な病気を連想させる症状だが、そういうことをばあさんは二ヵ月に一回顔を合わせるだけの僕に一気に話したことと、その様子からすると彼女はかなり興奮というか、気が動転しているみたいだった。

戸を開けてもらい、メーターを見終わって「おしらせ」をばあさんに渡すときに「検査の結果が大したことがないといいですね」と僕が言うと、「ううん、もー、なんでもないの、腫瘍って言ってもガンとかそういうんじゃ全然ないんだから。軽いことはわかってるんだけどねぇ、一応は検査も受けとかないとね」とニコニコしながらばあさんは言った。

僕はそれを見て、やっぱり事態が深刻になればなる程、人は妙に明るくなるんだなと思った。それから時々、あのばあさんの夫の検査結果はどうだったんだろう、もし深刻な種類のガンだったとしたら、あのばあさんは今ごろ何を想っているのだろうかとぼんやり考える。

それで仮にじいさんが病気で死んでしまったとしたら、僕に「あんた養子になんない?」と言ったあの老女のように彼女は独りであの家に住んで、寂しくて仕方なくてテレビとか花に話し掛けるようになるのかもしれない。50代ぐらいまでなら、配偶者が亡くなっても立ち直れるらしいけれど、もう70代にもなるとなかなかそれが難しいらしい。若い頃からの友達の多くはすでに死んでしまっているし。

僕に話しかけてくるのは比較的寂しい境遇にいる老人が多いせいか、検針を始めてから老年になることに関して、かなり悲観的な印象を持つようになった。若い頃ならまだ乗り越えられたり、救いや可能性がある困難でも、年をとって(年の取り方や各個人の違いもあるが)体がいうことをきかなくなり、順応性が衰えてくると、もう一気に下降線を辿ることになるのだ。悲しいけれど、それが現実だ。それが人生だ。

 今日の再調は結局、40分ぐらいで終わってしまった。明日から休みだ、ワーイ。ちょっとハイになっていたのか、帰りに中古CD屋でCDを5枚買って帰った。