水道検針日記(199Z年2月23日)~検針組合の委員長

今日は今月最後の検針日だ。やっと今月もここまで辿りついた。最終日は奇数月もそうなんだけど、件数が他の日より少な目なのでいつも気楽である。

今日はH町70件(一つのマンション)とE町110件。いつもの半分ぐらいしか件数がない。午後から出勤したって十分間に合う。でも、今日はバンドマンのジョニーが休んだため、応援がある。

一冊を半分に割って65件ぐらいしかないからすぐ終っちゃうだろうと思っていたが、大間違いだった。H町とE町を簡単に終了して、某駅周辺へ。会社でこの応援冊の場所を地図で確認した時から、駅からそう遠くないということでイヤな予感はしていたものの、やっぱり商店街だ。しかも駅の真ん前もある。

K町の駅前と比べたらこちらなんて、風俗もないし、飲み屋も人通りも少ないしで、のんびりして牧歌的な雰囲気なんだけど、商店街は思わぬところにメーターがあることが多いので住宅街と比べたら、特に初めての地区だと1,5倍時間がかかる。

魚屋のメーターが、魚を運んできた木の箱(5個積んだのが3列)の下にあったり、パン屋のメーターが横の鉄の扉の中にあったり、とカンを巡らさないとメーターを発見できない。ハンディの画面にはメーター位置が「右前」とか「左横」という風に記されているのだが、それは必ずしも信頼できない。

メーターが「左奥」とあるので、住宅とブロック塀の間の狭い空間をカニ歩きで入り込んで、奥でメーターボックスを探して「おっかしいな~。全然見つからないじゃん……」とブツブツいいながら検針棒で地面をガリガリ削っていると、突然、窓がガラッと開いておやじさんが「おい、そんなとこで何やってるんだ!?」と大きな声で言われて、よく聞くとその家のメーターは道路から30cmも離れていない玄関前にあったのだ。そんなこともある。

牧歌的な私鉄沿線とはいえ、そこはやはり都会の駅前なので、隙間なく建て込んでいる建物が多く、メーターの発見もなかなか容易ではない。せっかくメーターを見つけて数字を打ち込んで「おしらせ」を印刷して出しても、ポストがなかなか見つからなくて困ったりしてね。

そんなこんなもあるし、天気がいいので次第に気温が上がってきて厚着のせいか汗ばんだりして、段々ストレスがたまる。多少、休んだジョニーを怨みました(笑)。今度何かおごって欲しい。

あるアパートの井戸メーターを検針するところで、ハンディに「ヘイニノボッテミル」と書いてある建物があって、せいぜいコンクリート塀に手をかけてジャンプすれば見れるだろうと思っていたら、よく見たら井戸メーターは建物の一番奥の壁に設置されていた。つまり170cmぐらいの高さの塀「おりゃ~」とジャンプして登って、15mぐらい塀の上を歩いてようやくメーターを見ることができるのだ。

女性の検針員には無理かもしれない。コードを伸ばしてもっと道路側に設置することもできるだろうに。このように「なんでこんなところにメーターを付けるのか」と首をひねることはよくある。水道局に文句を言っても、どうせ検針員の言うことなんて無視されるから言わないけど。

ある情報産業関係らしい店舗のメーターを見たら、料金滞納で水を止められて、バルブの上に金属性のカバーがつけられているにもかかわらず、メーターのメモリが1トン分増えていた。本来ならバルブを閉めて、その上に触わることができないようにカバーまでかけられたら、水は出しようがないはずなのに、その店舗に入らせてもらって洗面所の蛇口をひねったら細々ながら水がちゃんと出て、メーターも回る。

それで僕が「あのー、お宅は料金を滞納して止められてるんですよね……」と言うと、60過ぎのスーツを着た男の人が「ええ、そうですよ」と何やら自信ありげに、爽やか且つキッパリと言う。不正使用してるんだから、もう少し恐縮してもらわないと、僕の方が困るんだよなぁ。

「ええと……、それで…そちらは滞納した料金を払うことは……あの、考えてらっしゃらないんでしょうか……」と僕が言うと「ええ、それはうちの大将(社長らしい)が今、いないのでわかりません」とやはり爽やかに彼は言う。料金関係のことなので、それ以上詳しくはきなかった。

後は水道局が来て、多分、メーターを撤去して、今度は本当に水が出ないようにするのだろう。アパートなんかで、こういう風に水が止められている家はあるけど、会社ではこういうことは初めてみた。パリッとかっこよくスーツをきた60過ぎのオヤジがねぇ。まぁ、世の中にはこれより一億倍エグいことが頻発しているわけだが、なんだか「ナニワ金融道」の世界を少しだけ見た気がした。

会社に戻って簡単な事務処理などをして、今日は某駅に行った。3月に会社に出す組合の要求書の作成のためだ。**からは僕一人。6時に喫茶店に集合して、2時間ぐらい、ああだこうだ話をして、それから居酒屋へ。

酒の席で検針員が何人か集まると必ず検針ネタになる。とんでもないところにメーターがある家、わけのわからんことを叫ぶオヤジがいる家、失敗談。検針員なら誰でも身に覚えがあることで、それを笑って消化するのだ。

委員長は****で働いている人で、年齢は61才。若い頃から安保反対デモとか労働組合活動に積極的に参加してきた人だ。60年代は派手なドンパチがたくさんあって、とにかく面白かったらしい。

あの新宿駅前でベトナム反戦集会があって機動隊と衝突したり、新宿駅が一時占拠(ちょっと違うか?)されたりなんて今では全く信じられない。経済や自分の身の回り以外のことに普通の人が熱くなる時代がつい30年ぐらいまではあったのだ。

その時代のことを話すときの委員長の顔はイキイキとして(デモか何かのときに機動隊が打った催涙弾が鼻に直撃して、彼の鼻骨はプラスチック製らしい)、同僚の演劇活動をしているおばさんに「**さん、いい時代に生まれて、いい人生送ってきたねー」と言われると嬉しそうな顔をする。

去年ぐらいに、某検針委託会社で組合が発足したのだが、その時に、委員長が、発足前の学習会に何回も通って労働法などの法律や会社との交渉の仕方などを教えたらしい。これまでの人生をずっと反戦活動や労働組合に費やしてきたせいか、彼の表情は生きているし、エネルギーを感じる。

自分が決めた飲み会の場所を間違えて、みんなが4階の「甘太郎」で待っていたのに、委員長は一人で約2時間も3階の「天狗」でイライラしてたり、K町集合のところを、特快に乗ってしまって遠くまで行って(特快はK町は通過)遅刻したりといろいろ逸話の多い人らしい。彼は、もちろん名もない一市民で、何も特別なことをしてきたわけではないからテレビや週刊誌が取材に来るわけでもないし、本を出しませんか、なんて出版社が言ってくることもない。でも、間違いなく彼のような人がこの社会を下から支えているんだよね。うん。